物書きとしてデビュー(※はじめて原稿料の発生する文章を書いてから)して、ちょうど10年が経ちました。早いものです。
筑波大学大学院在学中の2011年3月26日にデイリーポータルZに掲載されたアオミオカタニシの記事がはじめて世に出た文章でした(今読むと本当にひどい出来です。アオミオカタニシが可愛いことだけが救い)。
この記事は前年の9月だか10月に編集部へ送ったものだったのですが、ずっと返信がなく「ああ、ボツったな」と次のサンプル記事を書いている最中の翌3月頭に採用の通知が来たんですよね。
半年寝かされるとは思っていなかったので驚きました。
ウェブマスターの林さんはそのことについて「そんなもんですよ」と言っていましたが、10年間いろんなとこで仕事してみたけどそんなのは後にも先にもデイリーだけでしたね。
ただ、いざ公開というタイミングで東日本大震災に見舞われていろいろ大変なことになってしまったわけで。
当時のことは今でも鮮明に思い出されます。
二作目となるサソリ記事の取材を兼ねて学生時代の友人らと西表島へ行っている折、その最終日がまさに3月11日だったのです。
いかに震源から大きく離れた西表島でも津波の危険を考慮して帰路のフェリーが欠航。島に閉じ込められ、宿のテレビを通じて、なす術なく惨状を見つめていました。
…まるで昨日のことのようです。
当時は茨城在住でしたから、震災の影響も甚大ではないにせよ随所で受けました。激動の年でした。
その後、年を追うごとにいろいろな媒体で執筆させていただき、本も複数冊出版させていただけました。
なぜかテレビにも出るようになったり…。
フイにした時間も人より多かったですが、なんだかんだで楽しく、少ないながらも実りのある10年でした。
しかしここへ来て、今度は新型コロナウィルス禍です。
震災とあわせて、いよいよ「人間なんていつ死ぬかわからんな」という思いを強くしてしまいます。
今後も生物の魅力を伝えるための執筆の仕事は続けていきます。
これからは一本一本の記事を遺書とするつもりで臨みたいものです。
平坂寛