先日、オンラインでの打ち合わせ中に取引先の方からこんなことを言われた。
「コロナ禍で外出自粛中だけど、平坂さんは旅人だからいい加減また旅に出たくて仕方ないでしょう」
えっ。と思った。
もちろん、もちろん言わんとしていることはわかる。
だが僕は自分自身を旅人などと思ったことは一度もない。なんならその『旅』というものを一度もしたことがないのだ。
彼は僕が生物を探しに遠方へ出向くことを『旅』と捉えたのだろう。
しかしアレは僕にとっては『採集行』とかせいぜい『採集遠征』というものであって旅だのなんだの大仰なものではない。
僕からすると日帰りでも一泊でも、一ヶ月がかりの長期戦であっても、そこに大差はなく狙いの獲物と目的地が都度都度に異なっているだけのことである。
しかしはたから見ると日帰りの採集と複数日を要する遠征は別物で、後者は『旅』として映るらしい。そう考えると納得はいく。
だけれど『旅』と聞くとなんというか、当て所なくフラフラ、明確な目的なくユラユラ、少なくともひと月以上のスパンで長期にわたって流浪するものというイメージがあるのだ。
なんというか…ムーミンに出てくるスナフキン的な?ムーミン観たことないけども。あるいは寅さん的な?男はつらいよ観たことないけども。
もちろんこれは僕自身の勝手な、個人的な解釈であって国語辞典的な定義には当てはまっていないのだろう。
でも、少なくとも僕の遠征は明確な目的物としての生物が存在していて(実際は迷走するものの)そこを目指す意志は一直線である。
在住県内でダンゴムシを撮影するときも、ブラジルでハキリアリの塚を襲撃するときもそれは一緒。
後者が旅だとしたら、隣県で一泊二日ならそれは旅か?県内で一週間山にこもるのは旅か?という話になるし。
そういう屁理屈として僕は未だに『旅』をしたことがない人間なのだ。
では『旅行』はどうかというと、これもまた経験が少ない。
そもそも旅行と旅に明確な違いがあるのかは知らんが、なんとなく『旅行』の方が娯楽的、趣味の範囲内、安全確実、観光、美食、に重きを置く手軽なものという思い込みが個人的にはある。
ところが、そう考えるとそれもまた縁遠い。
学生時代などに友人らと連れ立って離島へ行き、民宿に泊まって海で泳いだりした経験はあるし、それはもちろん楽しかった。良い思い出である。
が、それは自発的なものではなくよりアクティブな面々の提案に乗っかるor巻き込まれての参加であった。
考えてみるとそれ以降、十数年も旅行というものをしていなかったのだ。
『遠征』は多分に趣味道楽を兼ねているし、場合によっては地の美味いものを食べることもある。よって『旅行』が内包されているとも言えるのだが、決して主軸ではない。
たとえばここ7年間は毎年奈良県にお邪魔しているが、毎回向かうのは田園地帯から山上であり、観光地へ行ったのは奈良公園にオオセンチコガネ(うんこを食う綺麗な虫)を観察しに二度ほど訪問した折くらいのものである。
しかもその時は鹿のうんこばかり見ていて大仏さますら拝まずに帰ってしまった。旅行ならばありえない話であろう。
僕は今後もせわしなくバックパックを持って国内外を飛び回ることになる。こう見えて忙しいのだ。よって、少なくとも当面は『旅』というものを経験することはできないだろう。残念ながら。
しかし、旅行ならできるやもしれんという兆しがこのところ見え始めている。
というのも昨年、ついに人生初となる自主的な『旅行』を経験したのだ。行き先は関西と石垣島であった。
前者では二泊三日で観光地をちょろっと回って、ショッピングをして、ご当地の美味いものを食べた。カフェでお茶とか飲んじゃったりもした。
後者ではひたすら、過去の取材で訪れた際に印象に残っていた場所を巡った。綺麗な海とかも眺めた。昼食はベタに新川食堂の牛そばと知念紹介のオニササ、夕食は友人が経営している魚料理屋で向こうの仲間と乾杯。
…おお!できたじゃん、旅行!
そして知っていたとはいえ楽しいな、捕まえるべきターゲットのいない旅行!
…石垣ではなんだかんだで生物観察行っちゃったけどね。まぁそれも観光の一環、セルフエコツーリズムということで。
そんなこんなで旅人にはなれないまでも、旅行を新しい趣味にすることはアリかもなぁと思い始めた……矢先のCOVID-19!
いやぁ勘弁してもらいたい。
しかし、いつか現状を乗り越えたら、きっとまた遠出してやろう。そういう日が来ると信じてそれまで辛抱辛抱…。
そんなわけで旅と旅行と遠征についてのお話でした。
ああ〜もう50日近く飛行機乗ってねぇ〜。こんなの初めて。
こんにちは。
沖縄の南部で熱帯魚が捕れる場所を教えてもらえますでしょうか?
子供と一緒に自宅の水槽で飼いたいです!